2006.07.01

The world is more than you know.

「何かあるかもしれない・・。」と日本語に訳されていた・・・。ベン・ハーのビデオを見ていて、この言葉が心を捕らえた。直訳すると「世界はあなたが知っている以上のもの・・・。」

私達が知っていることは、自分の経験、回りの情報などによる。 その情報の中で、私達は日々様々な決断をしながら生きている。でも、私が知っている世界も情報も限られている。

The world is more than you know.

「何かあるかも知れない・・。」

この言葉は、映画の中では、自分と家族を苦しめたメッサラに、ようやく復讐したと思ったら、母と妹は不治の病にかかっていて、会うこともできない・・。憎しみと失望に打ちひしがれるジュダ(ベン・ハー)に彼を愛する召使の女性が語った言葉。

この言葉は私に希望を与えてくれる。もう八方塞、行き止まりと思う時でも、私の考えが全てではない、もっと何かあるかもしれない・・・と。私の場合、神さまはどう考えるんだろうか・・とか・・。映画の中でも「だから、あきらめないでイエスの所に言ってみましょう。」とジュダに語っていた。そして、イエスとの出会いによって、彼は憎しみから解放される・・・。

同時に、この言葉は私に教える・・。「自分が知っている事はホンの一部に過ぎない、絶えず、何かあるかもしれないと謙遜に学ぶ姿勢が大切・・・と。
  
 

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わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、

わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。

     ――主の御告げ。――

     天が地よりも高いように、

わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、

わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

     イザヤ55:8,9

       
                        

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2006.05.20

ダ・ヴィンチ・コードと最後の晩餐

J0382965 このクラッカーのように見えるのは、ユダヤの人たちが過ぎ越しと言うお祭りの時に食べるイースト菌の入っていないパンです。これと、ぶどう酒、子羊のすね、苦菜などを食べる習慣がありました。(出エジプト12章)

聖書で、イエスが最後の晩餐をしたのは、この過ぎ越しの祭りの食事でした。

当時のユダヤでは祭りのように人が集まって食事をする時は、低いテーブルがコの字に置かれ、コの字の下の左手が入り口、そこに一番近い席は給仕役の席・・。向かい側のテーブルが主賓席、その両サイドは側近の席だといわれています。

イエスは最後の過ぎ越しの食事の時、コの字の一番上のテーブルの真ん中に座ったと考えられています。そして、端にはいつもイエスの近くにいるヨハネ、イエスの左手にはイスカリオテのユダ・・。 同じ鉢に手を浸すのは隣同士で行うことなのです。(マタイ26:23)

西洋式のテーブルや椅子は、当時の彼らの文化ではありませんでした。低いテーブルの回りに左わきを下にし、横たわるような形で食事をしたのです。パンも上の写真のようなもの。実際の最後の晩餐(過ぎ越しの食事)は、ダ・ヴィンチの描いたものとは随分異なったものだったと思われます。

チョッと硬い,どうでも良いような事を書きましたが、最近の「ダ・ヴィンチ コード」に対するマスコミの過熱報道ぶりには、あきれてしまって私も少し書いてみました。著者のダン・ブラウン自身が「これは小説です。故にフィクションです。」「ここで触れているイエスについてのアイデアは、ずーと言われてきたもので、私自身のものではない。絵画、建築物、儀式(資料の真偽は定かでないが)などは実際に存在するが、登場人物の理論が正しいかどうかについては何も結論づけていない。それは、読者がどう取るかに委ねられている。」と言っているのに・・。

「最後の晩餐」は、ダ・ヴィンチの豊かな創作力の賜物と思いますが、聖書の記述とは随分違うかなと思います。美術作品としては素晴らしいものでしょうが、それをもとに「今、真実が明かされる・・」とは・・・ね。フィクションとしては面白いんでしょうが・・・。あまりの本の売れ行きと、論議に、ダン・ブラウン自身が一番驚いているみたいですよ・・・。笑

   参1:聖書の世界とイスラエル 
        クラレンス・H・ワグナーJ著 いのちのことば社)

   参2:  ダン・ブラウン オフィシャルサイト

    

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