2006.11.16

ゴスペル O Come All Ye Faithful

クリスマスの歌、第2弾は、「神の御子は今宵しも」、
英語で“O Come All Ye Faithful”という曲です。
日本語訳は伝統的な賛美歌から・・。

  
1 神の御子は 今宵しも 

  ベツレヘムに 生まれたもう

  いざや 友よ もろともに

  いそぎゆきて 拝まずや

  いそぎゆきて 拝まずや

           

1.O come all ye faithful

    Joyful and triumphant

    O come ye, O come ye to Bethlehem

    Come and behold Him

    Born the  King of  angels

 
       O Come let us adore Him

       O Come let us adore Him

       O Come let us adore Him

       Christ the Lord.

   

                               Latin hymn,18th century

                               English translation by Frederick Oakeley

Cehch330_1               

          

            

                           

            

          

          

            

  御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、

  羊飼いたちは互いに話し合った。

  「さあ、ベツレヘムに行って、

  主が私たちに知らせてくださった

  この出来事を見て来よう。」   

 
     ルカ2:15         

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2006.10.21

シナイ山は何処?

先日、NHKの番組で旧約聖書の出エジプト記に記されている、“イスラエルのエジプト脱出は本当にあった事か?”を検証すると言うのを見た。

http://www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/69.html 

映画「十戒」を最初に見たのは、私がクリスチャンになる少し前のことでした。その頃、自分がその聖書に記述されている場所に訪れるなんて、想像もしませんでした。

以前、4日間でカイロ、ギザのピラミッド、シナイ半島(ジュベル・ムーサ・・モーセの山)に行き、アカバ湾沿いに、進みイスラエルのエイラートに入る。残り4日で(機内も入るので実は3日)で、イスラエルを観ると言う、バスの運転手さんも「こんなのは始めて!」と言うような超強行スケジュールでした。

イスラエルは2回目で、今回の目的はシナイ半島ですが、折角エジプトまで行くなら、やはり少しでもイスラエルに行きたいと思い、このツアーに参加しました。それと旅行会社の激安ツアーだったので、ホテルや食事にはこだわらず、これにしました。

先日の番組では、このジュベル・ムーサは聖書のシナイ山ではなく、歩いた道のり、周辺の地名・・などからして、多分別のところであろうと言われていた。

本当のシナイ山は何処だろうか?しかし正直、何処であるかに私は拘っていない。

私は、史跡などを旅する時、あまり限定された場所にはこだわらない。もちろん、それらを見るのは好きですが、むしろ、その地域の自然、空気を感じたいのです・・。

だから、イスラエルに行っても、大きな教会の建物より(それは歴史的建築として素晴らしいものですが)、ガリラヤの湖畔を歩くとかの方が、どちらかと言うと好きなのです・・・。

2006900_001_25 スエズ運河を渡って、シナイ半島にはいると砂漠が広がる。途中アイン・ムーサ(モーセの泉・・メラと言われている)にたちより、其処をしばらく行くと、次はあたり一面、ゴツゴツした岩山に入って行く・・・。

    

イスラエルがシナイ半島を占領していた時期があり、その頃はこの辺の人々はテルアビブなどに働きに行くこともでき、生活も楽だったとか・・。だからこの土地の人々はヘブル語も話せる人が多いとの事。エジプトに返還されて、皮肉なことに彼らの生活は苦しくなったとの事・・。

舗装された道路、冷房つきのバスの窓から何処までも続く荒涼とした岩山を見て、イスラエルの民が神やモーセに文句を言いたくなった気持ちを、想像はできても、本当に理解することは難しいだろうな~と思ったことです。

  
2006900_001_23 この時は、まだデジカメではなかったので、写真を再度携帯で撮ってみました。

シナイ山の頂上から日の出を待つ・・。この山の上に信じられないほどの人がいます。いろんな国から来ているようです。

突然、ひとつのグループが歌いだしました・・Oh, Lord, my God, when I in awesome wonder (輝く日を仰ぐ時、月星眺むる時・・・ 私もつられて歌ってしまいました。)

   

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2006.10.11

山口へ (3)

山口の第3日は、皆で萩へドライブ。萩は日本の歴史に於いて近代国家へと転換させる原動力の中心地だった。彼ら志士たちの足跡は、今も萩の町の中に残っている。

最初に訪れたのは、吉田松蔭の松下村塾の跡、松蔭神社でした。途中で道の駅で止まった時、この松下村塾の様子を模型とテープで再現していました。

記憶力が弱くて、なかなか覚えられないと言う門下生に「それは良いことです。覚えられないと思うものは、何度も何度も読み返すうちに、さらに深く内容を理解することができるようになるのです。」

う~ん、今こういう先生が欲しいと思います。

  
2006100206_011 

    

       

  

     

           

   

久坂玄端(17歳)、高杉晋作(19歳)、伊藤博文(17歳)、山県有朋(21歳)、山田顕義(14歳)、などをはじめとする、多くの若者達ががここで学んだ。彼らの年齢の若さに改めて驚く。

こんなに若い人たちが、日本を変えていく力となって行ったのだ・・。

そのストーリーを映画にした“長州ファイブ”と言う映画ができ、山口、福岡で先に公開される。何か安倍さんの総理就任と関係付けているのだろうか。でもちょっと興味があります。

吉田松陰は、松下村塾では2年間だけ教え、29歳の若さで幕府に処刑されるが、人を育てることの大切さを教えられる。

          

 

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2006.10.08

山口へ (2)

山口二日目は、姪の家から歩いて行ける所にある公園の遊園地から始まった。同じ事を何度も何度も繰り返す・・・。それでも、厭きる様子もなくさらに繰り返す・・・。私も、これくらい熱中して遊びたいものだ・・・。笑

午前中は、姪の用事があったので、子供達を連れてザビエル記念聖堂を訪れた。この建物自体は新しく、1998年に完成したもの。

フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教の宣教に訪れた時、最初に布教許可を出したのが、山口の大内義隆だった。ザビエルは平戸、山口、京都などに滞在した。

ザビエル自身は、1549年から1551年までの2年ほどしか滞在していないけれども、最初の宣教師と言うことで、ここから日本のキリスト教の一歩が始まった記念の聖堂。

最近読んだ本は、「キリストの福音は景教を通して、もっと以前に日本に伝わっている可能性がある。」と言っていたけど・・・。

  
2006100206_021    

       

 

  

    

   

  

この日は、写真手前の芝生で、幼稚園の子供達が運動会の練習をしていた。資料館に向かう私達に、「めっちゃ暑いわ~!」と叫んでいた・・。

資料館に入ってしばらくして厭きてきた子供達は、「も~いいかい!」「ま~だだよ!」と・・。こちらでも運動会が始まりそうだったので、急いで見終えて出てきました。   

           

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2006.10.07

山口へ (1)

6月末、ご主人の転勤で姪の家族が引っ越した先は山口でした。

以前から萩や津和野は歴史的に興味を持っていたのですが、姪達の引越しで、いろいろ山口について調べると、さらに興味が沸いてきて、姉と旅行がてら彼らの所に行きましょうと話していました。

引っ越して3ヶ月過ぎて、少しは場所に慣れ、落ち着いてきているかなと思い、又、姉達のスケジュールもあったので、今回行くことになりました。

姉のご主人も一緒に行くことになり、彼らの家に泊まるのは狭すぎるので、歩いて五分くらいの所のホテルに泊まることにして、私は羽田から、姉達は奈良から車で・・・、二日の午後に山口で合流しました。

朝、地下鉄の始発に乗り、雨の中羽田に向かいました。朝早かったので、ラッシュアワーに遭遇することもなく、快適に空港に着き、目的地の山口宇部空港に到着。

羽田を出る時は、暗い空でしたが、雲を突き抜けて行くと、其処には気持ちの良い秋の空が広がっていました。

私は飛行機から雲海を下に見るのが大好き・・・。どんなに雨が降っていても、雲の上はいつも青空。雲って太陽が見えないことがあっても、それは存在する・・。

  
2006100206_009_2   水の上ならぬ、雲の上を歩く生活で生きて行きたいな・・・。

※ペテロと言うイエスの弟子の一人が湖で水の上を歩き出すが、イエスから目を離し、波を見て恐くなったので沈み、溺れそうになったと言う記事がある。

        

       

 

          

       

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2006.08.29

上高地散策 (2)

朝、6:50発で片道5時間かかる強行スケジュール・・・。散策時間は2時間半・・。少し不安もあったが、現地に着いて大正池から散策をスタートしたら、そんな気持は吹っ飛んでしまった。

ひんやりと心地よい風と、底まで見える澄んだ池や川の冷たい水・・。一緒に行った友人もしきりに「あー生き返った感じ・・。」と繰り返していた。

                          

2006828_016  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        

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2006.08.28

上高地散策

今日、正午頃の上高地の気温は21度・・曇り。長袖は持って行ったが、歩いていると半そででも大丈夫でした。

夜九時過ぎに帰ったので、今日は写真のみです。又、明日続きを書きます。

大正池から散策スタート・・。 
 
2006828_010  

 

 

 

 

 

 

 

ススキとヤナギランが秋の雰囲気を・・・。
  

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上高地のシンボル河童橋。ここは観光客で溢れていた・・。

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2006.08.22

夏休み・・帰省(3)

実家での夜は、妹は翌日に日帰りなので、義姉と姉と私、二階で川の字になって休んだ。モモちゃん専用のふとんも隣に引いて三人と一匹、暑い部屋で扇風機をかけながら、またしばらくお喋り・・・。

次の朝、朝食まで少し時間があったので、散歩にでる。もう日差しはかなり強いが、風は朝の風・・。

散歩で出会った草花たちに、心は和む・・。
                      

2006814_001_24 

 

 

 

 

 

 

                             

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2006.08.20

夏休み・・帰省(2)

父が亡くなって、田舎の家には誰も住んでいないので、今夜は義兄の親戚の民宿で夕飯を取ることにした。

知る人ぞ知る、知らない人はびっくり!恒例の茹で蛸・・・。

 
2006814_001_8 ちゃんとはちまきまでしている。

鋏で足を切って食べるのですが、最初はかわいそうな気がする・・。

義姉が豪快に鋏を入れる・・。

皆、「意外に柔らかいね。」と言いながら、すべての足は食べ尽くされた・・・。

  

 

     

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2006.08.19

夏休み・・帰省(1)

皆さん、お久しぶりです・・。と言っても一週間も経っていないんですが、のんびりと夏休みを過ごしてきました。その時の話を少し・・。

14日の朝7時過ぎに家を出て、7:53の新幹線に乗るために地下鉄に乗った。新横浜のひとつ手前で、地下鉄が発車し様とした時、急に構内の電気が消えて真っ暗になった。

電車の中は普通に電気がついてたので、一瞬何が起こったのか理解できなかった・・。何かいやな予感・・。

しかし、電車は何事もなく数秒後に発車・・。予定の電車に乗ることができた。しかも、座席は拍子抜けするくらいガラガラ・・。

2006814_001_3 とても良く晴れて、富士山が良く見えた・・。新幹線に乗る時は、富士山が綺麗に見えると、何か得した気分・・。

 

 

 

 

            

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2006.06.19

鷲のように・・

16,17日と実家にいる間、友人達を案内してあちこち歩いた。ふと空を見上げると鳶だろうか翼を広げ、ゆうゆうと空を飛んでいた。翼は殆んど動いていない。止まっているようにさえ見える。

2006616_001_20_1  

風を捕らえているのだろう 、ゆっくり旋回し、又止まっている・・。

 

鳶でなく鷲だけど・・

聖書の言葉が思い出される・・。

 

 

2006616_001_19_1

しかし、主を待ち望む者は

新しく力を得、

鷲のように翼をかって上ることができる。

走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

  

   イザヤ40:31

But those who wait on the Lord

Shall renew their strength;

They shall mount up with wings like eagles,

They shall run and not be weary,

They shall walk and not faint.
 

  Isa.40:31

               

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2006.04.08

思い出のマグとゴブレット

以前、オーストラリヤで買ったマグカップを紹介したことがあります。いつもではないけど、旅行などで行った場所で気に入ったマグを見つけると買うことが良くある。人からも頂くこともあって、増える一方なので最近は自粛している・・・。

200614_003

10年ほど前に姉と姉の長女と3人で北海道に旅行した時、流氷の感じを出している色合いが気に入って買った物。

この時は、姉のご主人も行く予定だったが、直前に髪を染めたら、液が肌に会わなかったようでかぶれて、彼だけキャンセルしたっけ・・・。
(><;)

 

 

200614_002 このゴブレットは、パプアニューギニアで、ある部族の言葉に聖書を翻訳していた方のところへ、友人と二人で訪問した時、焼物の工房で求めた物。

まるで「ウルルン滞在記」のような経験でした。でも、朝太陽と共に起きて、暗くなる前に夕飯済まして、後は寝るだけ・・。ホントは人はそんな風に作られているんじゃないかと考えました。ワラビー(カンガルーの小さい種)も食べました。

     

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2006.03.25

韓国の思い出 (3)

今日は、二人の韓国の男性を紹介したいと思います。と言っても、ヨン様たち韓国スターではありません。私の思い出に残っている人たちですが、通りすがりの人ですから、名前はもちろん顔すらよく覚えていません。

1980年、夏だったと思います。学生たち何人かで旅行しました。旅先で、出会った大学生の言葉・・・「日本はあんなに悪いことをしたのに、何故、神さまは日本に今日のような繁栄を与えられたのか、どうしても理解できない。」・・・。

当時、日本はエコノミック・アニマルと言われ、高度の経済成長を遂げていました。

19805_001日帝時代の歴史は知っていた。
彼が、彼が何故そう言うのかを理
解しながら、「神さまは、何処の国
の人も偏り見ることはしないと思い
ます。 確かに、経済的には豊か
になったかも知れませんが、心が
豊かになったとは言えないです。
人が幸せになるのは、多くの物を
持つことによってではない事を、いやむしろ、物が豊かになった事で、大切なものを失っていると、人々は実感し始めていると思います。 どうぞ、日本のために祈ってくださいね。」と、答えました。

彼は、それ以上何も言いませんでした。この時、私が学んだことは、神さまの愛はすべての人に注がれている・・。ダニエルを殺そうとした彼の家族でさえも・・。

私は、この青年と同じような質問を神様にしたことがあった。「神さま、何故こんなひどい人(事)を、そのままにして置かれるのですか?」と・・。

でも、同じ言葉が自分を含め日本に向けて突きつけられることは、想像もしなかった。第三者になって批判するのは容易い、しかし、自分も同じように人を傷つけているのだ・・・。

     わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。

          ――神である主の御告げ。

             エゼキエル18:32

19805_001_18_2 二人目は、タクシーの運転手さん。

ある日曜日の夕方、別の教会の夕礼拝に行こうとタクシーに乗りました。行き先を告げると、自分もそこの教会に行ってるということだった。私が日本人だとわかると、「今日、日本人の観光客を10回程、買春宿(別の言葉で言っていたが)に乗せて行ったよ。」とのこと。

当時は、日本男性の韓国旅行で、この事が大きな問題になっていた。今もカンボジアやタイで同じ問題がありますが・・。

「ほんとに、ごめんなさい・・・。心が痛みます。」と言うはずだった・・。でも、私が言った言葉は「お腹が痛いです・・・。」(>_<;) 

びっくりした運転手さんは、「大丈夫か?」と・・・。なんとか説明してわかってもらえたようでした。彼は「こんな日本人には初めて会った。」と言って、おつりを渡す時、私の手の甲にチューをしました。びっくりした私は、帽子を車に忘れて、飛び降りてしまいました・・・。

韓国の思い出は、又、思い出して、書きたくなったら乗せます。

それまで、アンニョン!


 韓国の思い出 (1)

 韓国の思い出 (2)

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2006.03.23

韓国の思い出 (2)

1979年5月になって、ようやく新しい校舎と寮が完成し、引越しが始まった。それと同時に私のバスとの格闘も終わった。

寮は2人部屋で、私のルームメイトはパキスタンから来たエステル。彼女の家族はクリスチャンでしたが、イスラムの社会で、女性が海外で教育を受けると言うことは、よほど家族のサポートがないと難しい。

彼女の国では、Yesは頭を横に振り、Noは縦に振る・・。紛らわしいので、言葉をつけて言うように、教授に言われていた。^ ^

19795_001_3_1  彼女は、前列でグレーの洋服の女性。ここで多くの異なる文化の人たちと暮らして、一番感じたことは、“どちらの習慣が良いとか、悪いとかではなく、ただ違うと言うことだけ。違いは悪いことではなく、ただ、違うだけなのだ。”と言うことでした。

それだけに、言葉で伝えないとわからない。慣れてない私が、黙ってしまうと質問の嵐・・・。ウゥッ!(泣) どうしてわかってくれないのョ!・・・無理な話です。彼女にとってもこんな状況は初めてでしょうから・・。自分の考えを言う訓練をされました。(誰ですか!?訓練されすぎたって言ってるのは・・・?)

もう1人、私の右にいる(向かって左)青いシャツを着た男性を紹介します。彼の名は、ダニエル・バンバン・ドゥィ・ビアントロ、インドネシアから来ました。彼の家族はイスラム。彼がクリスチャンになった時、彼は家族から殺されそうになりました。その時、怪我をした足は、まだ完全に治ってはいませんでした。今まで話には聞いたことはありましたが、実際にそんな経験をした人を目の前にして、驚きでした。彼は現在はアメリカにいます。

私が住んでいた79,80年代は急 19795_001_4    
速に近代化が進んでいました。 
赤土の開墾された丘に、広い道
路が建設され、町が作られて行
くのですが、まず教会が建てられ
、そして回りの家々が建てられて
いきました。

右の写真は、私が通っていた教会
ですが、まだ始まって2年目、工事中でしたが礼拝には200人くらい集まっていました。バス停から教会までの道は、まだ出来ていませんでした。人の歩いた後が道となり、雨の時は川となり、靴を泥だらけにして教会にたどり着いたものでした。

今は、ここもにぎやかな若者たちの集まる町になっているようです。今行ってもわからないでしょうが・・・。

楽しかった事も沢山ありましたが、辛い時もありました。でも、それらすべてが、私を育ててくれたと信じ、感謝しています。

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。

             箴言27:17

                As iron sharpens iron,

So a man sharpens the countenance of his friend.

              Prov.27:17

                
                                                   To be continued

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2006.03.22

韓国の思い出 (1)

1979年、私が韓国に渡った年です。改めて月日の経ったのを感じています。当時の韓国は、朴大統領による軍事政権の只中、夜間外出禁止令のある頃で、夜中の12時から朝4時までは外出できませんでした。

外国人の場合は尋問されますが、基本的にはエスコートしてくれます。しかし、韓国民は罰せられましたから、夜の12時近くになると、タクシーも自分に家に12時までに帰れる場所でないと乗せてくれませんでした。

その頃、金大中氏が日本で拉致され、光州という所で、学生たちのデモが起こり、多くの学生たちが死ぬと言う事件がありました。

19795_001_1_1  当時は、町で目立つ建物は教会でし
 た。左の写真は、もちろん、デジカメ
 などありませんでしたから、普通の
 写真を携帯のカメラで取り直したも
 のです。学校の寮の窓から見えた
 教会の建物です。

 朝4時になると 、あちこちの教会から鐘が鳴り、暗い中沢山の人々が、あちこちから祈るために集まりました。

最初の1ヶ月、寮が開いていないで、知人の家からバスで通学しました。そのバスが、ホントにオンボロ(失礼!20年以上前のことですから・・・)で、座席のシートが外れてたり、破れていたり・・・。でも、そこに乗っている人たちは素敵でした。学生たちは分厚いカバンをかかえ(当時の日本の高校生の間ではぺしゃんこのカバンが流行ってました。)ているにもかかわらず、年長者が乗ってくると席を譲るのです。そして、当たり前のように座った彼らは、学生たちのカバンを膝に乗せてあげるのです。

バスには本当に苦労しました。 19795_001_2_2
まずバス停が、なかった。いや、あったのだけれど、そこに止まらなかったのだ。5~6mはザラで、ひどい時は10m以上先に止まるのだ。そして路線が複雑、確かこの番号のはずと乗っても、ぜんぜん違う方向に行ってしまう。

方向音痴の上に、言葉の問題もあったし、当然毎日のように学校は遅刻!私が時間に現れないと、他の学生たちから「今日も彼女はバスを間違えたに違いない。」と言われるようになってしまった。

ある日は、乗ったバスがどんどん田舎の方に、さらに山の方に来てしまった。降りるにも場所がわからず、どうしようと考えているうちに、乗客が私一人になってしまった。これはヤバイと思い、次で降りたが人はいないし、道もわからない。仕方なく、反対側に立って帰りのバスが来るまで待って、ようやくソウル駅に帰ってきた。 ほんとにバスには泣かされた。でも、今は良い思い出・・・。今は綺麗に便利になっているはず・・。 

(上の写真の中央のピンクのチマ・チョゴリを着ているのが私。プレゼントされたもの。)

あちらにいる間に、日本から韓国を訪問していた在日韓国人の高校生にあった。彼女の言葉が今も心に残っている・・・。「日本にいて、韓国のことを悪く言われると腹が立つ。でも、韓国に来て、日本のことを悪く言われるのも腹が立つ。私はいったい何人なんだろう。」と・・・。少しだけだけど、わかるような気がした・・・。

                                                      To be continued

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2006.03.06

サイパンでの出会い-3

以前に、サイパンで出会った人たちについて書いて、3回で
終了する予定でした。その3回目がなかなか機会が無くて、
随分、時が過ぎてしまいました。(1月5、10日) 

今日、何故かこの記事を書きたくなって、ようやく書き終える
ことができそうです。

今日は3人の女性たち。一人目は、現地の魚屋さん。

P1010096 毎朝、新鮮な魚を氷の
入ったケース(写真下)
に入れて、車で移動店
舗を開いているらしい。

50cm位のかつおが
約700円で、安かった。
観賞用かと思うほど、
きれいな色の魚もたくさんあった。陽気な、笑顔がとてもかわいい人でした。

二人目は、ホテルのベッド P1010083
メイキングの女性。フィリピ
ンから働きに来ているとの
こと。フィリピンにお孫さん
もいると言っていた。時々、
荷物をいっぱい持ってお
孫さんの顔を見に行くら
しい。

もう、10年以上ここで、働
いているらしい。早く家族の所に帰りたいと言っていた。

ホテルの窓から見えるのはフィリピン海、あの向こうに、彼女の家族が待っているのだ。明かりをつけた船はアメリカの海上基地。サイパンは連邦政府のため、内政は自治、島内に米軍基地はない。ただし住民の国籍はアメリカ。軍事、外交などの権限はアメリカにある。まだ、戦争の影響が残っているようだ。

P1010101_1 サイパン旅行最後の日、
ホテルからダウンタウン
のガラパンまで、タクシ
ーに乗りました。

確かな年を忘れてしまっ
たのですが、70歳を超
えていた女性ドライバー。
日本語も流暢で「あんたたちはラッキーよ。ここでタクシーのドライバーをしている人たちは、バングラディッシュから、来ている人たちが殆んどで、日本語も英語もできない人が多いから、大変よ。」と言っていた。パワフルな、おば(あ)ちゃんドライバーだ。

話が、やはり戦争のことになって、日本軍がした事を謝りました。・・

「いつの時代にも良い人はいるし、悪い人もいるよ。今もそうだよ。戦争はしょうがない。・・戦争はしょうがないよ・・・。」と、彼女は繰り返してた。彼女のタクシーのフロントにはにぎやかな造花と、十字架のロザリオが揺れていました。

訪れた場所は、アメリカン・メモリアルパークでした。第2次大戦の犠牲となったアメリカの兵士たちの名が刻まれた記念公園です。記念碑の前に立ち、この地の人々の心の癒しと、平和を祈り、帰路につきました。

サイパンでの出会い (1)

サイパンでの出会い (2)

   

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2006.02.26

一足速いお花見

友人と4人で1日バスツアー、熱海の梅、河津の桜を見に
行きました。途中から雨が降ってきて、残念でしたが、梅も
桜もきれいに咲いていました。2月24日のこと。

20041_004  この日のガイドさんは、定年
 退職した後、再就職した男性
 でした。

 殆んどの客が女性(それも中
 年以上)の中で、頑張っておら
 れました。・・・自然と敬語に
 なる・・。お疲れ様でした。

 悪天候にもかかわらず、すごく
 混んでいました。皆、春が待ち
 遠しいのですね。 

200410_009_1 紅梅(上)と薄いピンクの椿(下)。
 やさしい気 持ちにさせてくれる。
 いずれも熱海梅園で。

 寒かったので、熱い甘酒や、
 温かい食べ物の前に人が集
 まっていた。やはり、花より
 団子か・・・?

 

  以下3点、熱海梅園で。

 200610_010            200410_008

200410_006 馬酔木と書いて、“あしび”と読む。

名前につられて、シャッターを押した・・・。

    
  











次の3点は、河津の桜。まだ、3部咲きとのことでしたが、結構きれいでした。でも、雨と風で、寒~!!

2006224_001

200410_015_1
200410_016_1



 もうすぐ、シンガポールに帰る友人も一緒だった。今年は
 お花見はできないので、一足速いお花見・・。寒かった・・。

 

                                             

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2006.02.19

お気に入りのマグ・・オーストラリア

200410_008_2 昨日の朝食は、ゆったりと、
マフィンとミルクをいっぱい入
れたマカダミァナッツチョコレ
ート・フレィバーのコーヒー・・・。

お気に入りのマグは、オーストラリアに行った時、ブルーマウンテンの空の色のような青に魅せられて、とても気に入って、買ってしまった。 

何処までも続く茶色っぽい平原と、吸い込まれそうに青い空、遠くからでも見える一本の木・・。200410_004_4

オーストラリアらしい、大好きなデザインのひとつ・・・。

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2006.01.08

サイパンでの出会い-2

P1010067             サイパンの北の端に、バンザイクリフと呼ばれる所がある。ここは太平洋に面し、島で一番日本に近い場所。日本が戦争に負けた時、多くの日本人が「バンザイ!」と言って、捕虜になるよりは、死を選んだ場所。紺碧の海の美しさが、かえって悲しい思いをさそう・・・。 

その太平洋のむこうにある母国を遥かに眺めるように、戦没者の記念碑が三つ建っている。一つは、日本人の為、隣に沖縄人の為のもの。もう一つは、韓国人の戦没者の記念碑。日本人も全ての人が苦しんだのですが、無理やり日本の軍隊に徴兵され、殺されていった韓国の方達・・・。ごめんなさい。本当にごめんなさい。

P1010081 翌日、朝、浜辺を歩いていると・・・そう、あのアントニオさんと会った朝・・・ミニゴルフコースの木の陰から手を上げて、声をかける人がいた。「ハングクサラム?」。私を見て、韓国から来たかと思ったらしい・・・。「ア-ニョ、イルボンサラムィェヨ」(いいえ、日本人です。)と答える。私が日本人とわかると、日本語で話してきた。日本語、英語、韓国語のミックスで話した。ビジネスで来ていて、いつも朝ゴルフをして、今から仕事との事。昨日の場所から、タイムスリップして現在に戻った感じでした。 

最近、いろいろ両国の関係が取り立たされています。私に何ができるかわからないけれど、さらに良い関係を築いて行きたいですね。
                                  

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2006.01.05

サイパンでの出会い

          P1010088_2                         昨年の6月に、友人とサイパンに行きました。朝、ホテルの近くの浜辺を散歩している時、日系2世のアントニオさんに会いました。歩きながら目が合ったので、軽く会釈しながら「日本人かな~」と思っていると、向こうから「日本の方ですか?」と自然な日本語で話しかけてきました。年齢ははっきり覚えていませんが、75歳前後だったと思います。戦前からサイパンに住んでいて現地の方と結婚しているとの事でした。

P1010089_1  話をしていく中で、6月の終わりに天皇、皇后両陛下が戦後初めてサイパンに訪問されることを伝えると、「それは良いことです。」と、静かにうなずいていました。前日、ツアーガイドさんと話していた時、第二次大戦の日本軍のしたことを謝ると、「 もう、終わったことだよ。日本軍がした事はひどいことだけれども、その前からいた日本人、特に沖縄の人たちは、サイパンの人々の生活に貢献したし、良い人たちでした。」と、言ってくれました。 

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その事を、アントニオさんに伝えると、「そう言ってましたか。」と少し嬉しそうでした。黒く日焼けした穏やかな彼の顔に刻まれた深いしわを見ながら、戦後この地で生き抜いてきた彼の残りの人生に祝福あれと、心の中で祈りました。

 
サイパンの桜と言われるフレームーツリーの花が咲き乱れていました。
                                        

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