2006.12.08

トラ・トラ・トラ

・・・その意味は、「われ奇襲に成功せり」・・・。報じたのは元海軍大佐の淵田美津雄であった。

1941年、12月8日は日本軍はハワイのパールハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃した日である。このことによってアメリカは憤激し、4年の惨劇の後、日本は無条件降伏という敗退に終わったのです。

血は日本人ではあるけれど、国籍はアメリカという私の友人は、「アメリカは日本が攻撃してくることはすでに暗号解読して掴んでいた。でも、参戦を正当化する為に、日本の攻撃を不当なものとし、あえて公表しなかった・・。とあるアメリカ人たちは知っている。」と言っている。

その事の真偽は分らないけれども、元海軍大佐の淵田氏は国への忠誠に全ての努力を注ぎました。

しかし、終戦と共に彼は四面楚歌、茨の道を経験することとなったのです。友人は全て彼から去っていき、住む小屋も水を飲むための井戸も皆自分の手で作らなければなりませんでした。

しかし彼は、町から離れて住み、植物や自然に触れていく中で、生命や宇宙の神秘に、創造主なる神を思うようになりました。世の友は全て彼を去ったけれど、唯一真の神は変わることのない恵みを自分に注いでくださると感じたのでした。

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2006.10.11

山口へ (3)

山口の第3日は、皆で萩へドライブ。萩は日本の歴史に於いて近代国家へと転換させる原動力の中心地だった。彼ら志士たちの足跡は、今も萩の町の中に残っている。

最初に訪れたのは、吉田松蔭の松下村塾の跡、松蔭神社でした。途中で道の駅で止まった時、この松下村塾の様子を模型とテープで再現していました。

記憶力が弱くて、なかなか覚えられないと言う門下生に「それは良いことです。覚えられないと思うものは、何度も何度も読み返すうちに、さらに深く内容を理解することができるようになるのです。」

う~ん、今こういう先生が欲しいと思います。

  
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久坂玄端(17歳)、高杉晋作(19歳)、伊藤博文(17歳)、山県有朋(21歳)、山田顕義(14歳)、などをはじめとする、多くの若者達ががここで学んだ。彼らの年齢の若さに改めて驚く。

こんなに若い人たちが、日本を変えていく力となって行ったのだ・・。

そのストーリーを映画にした“長州ファイブ”と言う映画ができ、山口、福岡で先に公開される。何か安倍さんの総理就任と関係付けているのだろうか。でもちょっと興味があります。

吉田松陰は、松下村塾では2年間だけ教え、29歳の若さで幕府に処刑されるが、人を育てることの大切さを教えられる。

          

 

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2006.10.08

山口へ (2)

山口二日目は、姪の家から歩いて行ける所にある公園の遊園地から始まった。同じ事を何度も何度も繰り返す・・・。それでも、厭きる様子もなくさらに繰り返す・・・。私も、これくらい熱中して遊びたいものだ・・・。笑

午前中は、姪の用事があったので、子供達を連れてザビエル記念聖堂を訪れた。この建物自体は新しく、1998年に完成したもの。

フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教の宣教に訪れた時、最初に布教許可を出したのが、山口の大内義隆だった。ザビエルは平戸、山口、京都などに滞在した。

ザビエル自身は、1549年から1551年までの2年ほどしか滞在していないけれども、最初の宣教師と言うことで、ここから日本のキリスト教の一歩が始まった記念の聖堂。

最近読んだ本は、「キリストの福音は景教を通して、もっと以前に日本に伝わっている可能性がある。」と言っていたけど・・・。

  
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この日は、写真手前の芝生で、幼稚園の子供達が運動会の練習をしていた。資料館に向かう私達に、「めっちゃ暑いわ~!」と叫んでいた・・。

資料館に入ってしばらくして厭きてきた子供達は、「も~いいかい!」「ま~だだよ!」と・・。こちらでも運動会が始まりそうだったので、急いで見終えて出てきました。   

           

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2006.09.16

ハワイの日系人

今日(書いているうちに昨日)、これを見ようと思ったわけではないが、たまたまテレビでハワイの日系人の歴史について語っているのを見た。それを見ながら、もう、20年近くも前に、ハワイに行った時の事を思い出していた。

私の友人はハワイの日系3世・・。今はオーストラリアにいるが、彼女は結婚してすぐに日本に宣教師としてきた。彼らの三人の子供は日本で産まれた。回転寿司へ行くと、いつも、長男は卵焼き、次男は何も入っていない、ご飯だけの海苔巻き(自分で頼んで作ってもらっていた)、一番下の女の子は納豆巻きを注文していたっけ・・・。

彼らがハワイへ帰国している時に、誘われて一度だけハワイに行った。それまでハワイにはあまり興味はなく、芸能人たちが遊びに行く所と思っていた。

 
ご主人が「妻の本当の姿を見てもらいたくて・・・。」と言っていたが、最初はその意味が良くわからなかった。しばらくして、彼女がほんとに生き生きと良くしゃべることに気づいた。

日本にいた時は、言葉の問題もあったのだろうけど、どちらかと言うと静かで、聞き手になっていた。本当はもっと自分の思いを話したい時もあった事でしょう。

その時、彼女のお父さんと話をする機会があったので、ハワイでの日系人の歴史について聞いたことがあった。彼の親達は別の島でサトウキビ農園の移民でした。二世である彼はホノルルに住む退役軍人であった。

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2006.05.10

命のビザ・・杉原千畝

「私たちは、彼らが私たちの為にしてくれたことを決して忘れることはないだろう。」

以前、オーストラリアに旅行した時、シドニーにあるユダヤ博物館に訪れ、ホロコーストの記録フィルムを見ました。そのフィルムの最後に、シンドラーらと共に杉原千畝さんの顔が大きく写されこの言葉が語られました。同じ日本人として嬉しい気持ちで、博物館を出てきたことを覚えています。

ここ何年かの間に、「命のビザ」と題して杉原氏がリトアニアのユダヤ人を救った出来事が報道されてきました。最近も麻生外務大臣がここを訪問してきて、杉原氏の行為を日本人として誇りに思うと、テレビのインタヴューで話していました。

前から興味があって、彼について調べていたので、それらのいくつかを分かち合いたいと思います。

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